★金を出して貰っているから親を批判できないかというと多分そんなことはなくて、相手を批判するという行為自体は依存性や金銭の問題とは切り離して考えるべきだと思うのですよ。

当然大前提として、批判と我侭は別である、という点を明確にしておかねばなりませんが。

金を出している奴が一番偉い。
ハイ、それはまったくの真実で、反論の余地のない所です。ある一面においては。

しかし、その論理だけで人類はやって来た訳ではないのですね。直接的な金銭の見返りを必要としない金の出し方もあって、ソイツで人類は随分と助けられてきたのですわ。
また、金を出した人間が全てに口を挟むと、大抵の場合物事は悪くなります。ここで重要なのは、金を出した人間であって金を貸した人間ではないということです。銀行監査の甘さの言い訳にされては困りますからね。

世の中全て投資回収至上主義のVC的発想で語られるとえらいことになっちまいます。

例えば、自分は学費を出してもらって4年間大学におりました。さて、ここで親父は金を俺の4年間を買うために出したのか、俺の学業によって成される物に出したのか、という点が重要になります。というのも、たまにいるからです。前者の親が。俺は幸せです。少なくとも親父には恵まれた。金を出しているのは俺だ、という強権を理不尽に振りかざされた事は殆どなかったので。

親を批判することに眉をしかめる人は、幸せな親を持っている人が多いんじゃないんでしょうか。
斯く言う自分も親には恵まれていたけど、今は、そうでない親が存在することがよくわかる。
金を出してくれてありがとう。でもだからといって俺の人生を勝手に決めてくれるな。そんな親もいるのです。

そんなときは、金の流れとか、所詮とか、そういう言葉を忘れて、一個の人間として、相手を批判してみるほうが健全だと思うのです。お互い人間なんですから。

親あっての自分である。しかし、だから親の為す事を無条件に受け入れろ、とはならないのでは、と。

ちなみに最後に繰り返しときます。批判と、我侭や中傷は違いますよ。念のため。
ITさんの言いたいのも多分そういうことだと思うんですけど勘違いしてますか?
◆更にちなみに、他の所は全面的に賛成。中流階級の人間が身にまとうブランド品ほど滑稽なものはなし。ブランド品というのは余った金で日常的に買うもので、金を貯めて買うものではないと思うんですよ、本質的に。

銀の食器は高いけど手入れが大変、とつぶやいたら「そんなのはメイドに磨かせるからいいんです」。このイギリス貴族の発言が全てを現している気がする。
Mental:-- Physical:-- (2000/08/19)


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